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自分の存在感

アメフット部の騒動は、私たち人間の存在感としての教訓が多く詰まっています。

まず第一に、人はその立場や肩書き通りの資質を持っている訳ではないということ。

第二に、我が身を守るならば、まずは第一に自分を信じる者を我が身を捨てても守らなければならないということ。
その理由は、自分の存在価値は自分自身で決める事は出来ず、常に第三者が決めるからです。

第三に、人は追い込まれると人を傷つける事が出来る野蛮性を誰もが持ち合わせているということ。
環境次第では、善人の多くが人をも殺すことを躊躇しない悪魔に取って変わります。その事実が戦争です。

第四に、本当の悪人は表に出ないもの。表面に出ないところで組織全体を牛耳っている存在が必ずいるものです。それが組織というものです。

第五に、問題が視覚化するとき、それは氷山の一角であるということ。
神様は世界を平和に導く為に、常に全体を視野に働いている。

この事件の当事者である選手は被害者でもあります。
監督の現段階の対応には悲しくなりますが、世論の風を受けて、監督自身が心を痛め改心し、本当に反省する日が来ることを願います。

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