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賛否両方の意見を知った上で、結局「コロナワクチンを打つか打たないか」の判断を霊的視点で語ります。

今日は前回のブログ、コロナワクチンに続いて取り上げたいと思います。

地上波のテレビ情報だけしか見ていない人たちにとってコロナワクチンは神の御恵みという感覚しかないと思います。
様々な情報を調べている人にとっては、またこの導信サイトをご覧の皆さんも同じだと思いますが、ワクチンが本当に大丈夫なのか迷っていると思います。

今日のブログは、賛否両方の意見を知った上でワクチンを打つか打たないか、どういう判断をするべきのかについて考えたいと思います。
結局、どうすればいいのでしょうか?
この問題を霊的視点で語ります。

最初に、導信サイトを最近見始めた方や会員以外の方の為に少し捕捉しておきます。
霊的視点とは…
霊界では、人間が霊に戻った際に生活をする場が明確に分けられています。その基準は霊格の高さによってです。
霊格とは人格と同じようにその人の本質を表すレベルと思って下さい。
霊格の低い霊(人間)は、物質界で味わった物質的快楽の執着から抜けられずにいるので霊的存在に戻っても物質的幻想を追い求め暮らしています。
厳密にはこの状態はまだ未成仏の状態と言えます。
霊格が少し高くなると物質的な感覚(興味)が少なくなっていきます。本来の霊的つまり非物質的概念の世界に馴染んで(順応して)いきます。
霊格がさらに高くなると物質的価値観は持ちません。霊界ではまったく意味のないものだと分かっているからです。
ここでいう霊的視点というのは、霊格の高い霊たちから見た見解という事です。
人間と同じですね、同じ人間でも心の成熟度によってものの味方が180度違います。霊も同じです。
導信サイトで発信している霊的真理とは、まさにこの霊格の高い霊たちから見た人間社会の様々な問題を読み解いているものです。

さて本題に入ります。
まず、ワクチンの存在自体はどうなのか?
人間社会の中では物質的価値はあります。しかし霊的な価値はありません
何故か?
それはおびただしい数の動物を犠牲にして開発しているものだからです。
(詳しくはオンライン講話アーカイブをご覧下さい)
人間の為にはあらゆる生き物は犠牲になってもいいという概念が根底にある人間社会は霊界(宇宙)の中ではまだまだ低級な世界です。

この事を念頭に置き話を進めれば、低級な世界だとしてもその中で「善」とされるものは状況に合わせ活用していく事は悪い事ではありません。
それを利用する際の「動機」が重要にはなりますが、ワクチン接種は自らの健康を守ろうとする行為ですので「基本的に」その行動は悪い動機ではありません。
動機次第… 基本的に… について、さらに深い話もしたいと思いますが、ブログでは長くなってしまうのでまた導信VOICEで話します。
ここがまさに霊的真理の学びに入っていくところでもありますので会員さんにとっては良い勉強にもなると思います。

人生を有意義に生き切る為にも肉体の健康は重要なアイテムの一つです。これを大切にケアするという事は人生を大切にするという行為と同じです。
与えられた寿命の中で精一杯生きることは、霊界での生活に多大な影響を与える重要な時間ですので健康を管理する事は霊的にもとても価値のあるものです。

ここまで読んでもらえば、
「じゃあワクチンは打ってもいいんだ」となりますね。
そうです、霊的視点から見てワクチン接種は個人の自由という範疇(はんちゅう)です。
問題は、霊的ではなく、人間社会(物質的)の闇です。

このワクチンがどういう経緯で世界中に出回っているのか、効果を示すデータ、安全性、副作用、これらの問題が本当にテレビで報道されている通りなのか?

世界中で多くのワクチン専門家、多くの権威あるウイルス学の専門家が警鐘を促しているにも関わらず、なぜそのような報道だけがテレビで取り上げないのか?
日本ではその議論の機会すら設けられていません。
それは何故なのか?

これらの情報を調べていくと明確に浮かび上がるものは一つしかありません。権力を巡る人類の闇です。
陰暴論ではありません。科学的なデータ、研究で示されている情報をもとに客観的に分析した結果、それ以外には考えられないという結論にしか行きつけないのです。

しかし、これを公然と暴く事は不可能でしょう。

その理由は、世界を動かしている特権階級、3%の超富裕層が全世界の社会の仕組みを動かしているからです。
それでも、闇を暴こうと動いた影響力のある人間はことごとく不可解な死で終わりを遂げています。これもまた歴史上の事実です。

悔しいが、その仕組みの中でしか生きていけないのが現実です。
そして
「それならもう諦めて目先の快楽に興じて生きていこう。自分の事だけ考えて生きていけばいいや。」
というマインドに社会全体が陥ってしまいます。
しかし!
それが特権階級、富の3%が思うつぼです。

私たちには幸い選択が残されています。
選択をする為に学ぶ自由も与えられています。
インターネットの時代によって、世界中の情報を得られる文明の進化も享受しています。
それをどう使うか、使わないか、それも自由な選択です。
自由があるという事は責任が伴うという事でもあります。
「知らなかった。聞いていない。」は通用しない社会になったとも言えます。

コロナワクチン接種について、
各自が自分の意思で選択する事が大切です。
とくに何も疑問も持たず、「みんながやってるから、通知が届いたから、とりあえず、」
こうした思考停止状態で生きていく事に危機感を持たなければなりません。
今日のブログでもっとも言いたい事はここにあります。
「自分で考える」ことが大事です。

メリットとデメリット、それらを知った上で自分で判断するという行動が大切です。
※地上波のニュースだけでは政府主導の情報しか手に入らない事を忘れないで下さい。
その上で、ワクチン接種するならOKです。接種しないのもOKです。
先に述べたように霊的視点では個人の選択の範疇です。

しかし自分で選択した以上、その結果がどうであれ誰も責める事は出来ません。
そういうマインドが霊的真理に叶う思考と行動です。
これは今回のワクチンだけに限らずあらゆるところに通じる考え方です。

接種後、どんな副作用が起きようとも誰も恨んではいけません。自分の選択ですからそのまま受け入れなければなりません。

接種せずに、コロナに感染してももちろん誰も責められません。自分の選択に後悔してもいけません。

私自身はワクチン摂取はしませんがこれは自分で納得が行くまで調べた結果の私の判断です。
皆さんも皆さんの判断で決めて下さい。

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