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あおり運転

連日のニュースで後を絶たないあおり運転。
これだけ騒がれ、そしてその結末が分かっているにも関わらず繰り返す人たちを「なんで?」と思うのが正常な感覚でしょう。
これだけ続くニュースです。今日は霊的視点でこの問題を取り上げます。
まずこれだけニュースに露出するようになった理由は、SNSとドライブレコーダーの普及です。
そして何よりも、世間の関心が高いので関連する案件を探して取り上げるメディアが増えた事でしょう。視聴率が取れるニュースはどの局でも本気になって探します。
こう考えると、あおり運転行為自体の総体的な件数が極端に増えたわけではないのかもしれません。
そんな背景も客観的に見ておくことが大切です。

さて、これらの問題を起こす時、その人間は大なり小なり「憑依」を受けている可能性があります。
でも勘違いしないで下さい。憑依されたからあのような行為を犯している訳ではなく、あのような行為をするから憑依されるのです。
憑依現象がなければどこかの段階で理性が働き、自分の行為を現界を超えるある一定のところで自分を止めることが出来ますが、憑依現象があると自分の中にある理性の限界を超えてしまいます。
簡単に言えば、「車の窓を開けて怒鳴りつけるくらいまでにしておこう」と思っていたところが、途中から自分の感情をコントロール出来なくなり犯罪行為にまで及んでしまうという具合です。
犯罪者の中には、犯罪行為を振り返った時に自分の行為が思い出せない人がいたり、記憶にはあっても「自分ではない自分」が自分をコントロールしていた気がする、などと供述するのです。
そうすると、すぐに精神病者扱いされますが、実は憑依霊に思考を支配されていたケースもあるのです。
ニュースに出ている容疑者の顔を見ると一目瞭然です。犯罪行為を犯している時の表情と、平常時の表情では、まるで別人の様相をしています。雰囲気もまるで別人です。
憑依霊のせいにして、容疑者を擁護しているわけではありませんが、現実このようなことがあるという事を知って下さい。

さて、私たち一般市民にとってこれら一連の出来事を霊的視点で見た場合、どの様な教訓になるのでしょうか。
法則になぞれば「鏡の法則」です。
怒り、虚栄心、被害妄想、これらの感情に身を任せているとどうなるのか、それを日本全国民が見させられています。
しかしこれらの感情は誰にでもある感情です。理性でコントロールしている限りは問題ありませんが、一度理性のコントロールを失ってしまえば誰にでも同じ事をしてしまう危険性があるという戒めを鏡として見させられています。
例えるなら、感情はどう猛な犬で、その犬の手綱を握っている主人は理性です。
どちらもあなた自身ですが、感情と理性をきちんとコントロールするのがあなた自身の責任です。
「私はあんなことしない!」と思っている人も例外ではありません。何も運転行為に限った事ではありません。
怒り、虚栄心、被害妄想、これらの感情を野放しにしている事への警告です。
野放しにするという意味は、これらの感情にあなた自身が振り回されていませんか?ということです。
本当に大丈夫ですか?
家庭で… 職場で…
あの映像を見る度に、自分の心の中を見つめてみましょう。
怒り…虚栄心…被害妄想…
もしそれらの感情が見え隠れしているなら、どう猛な犬が誰かを攻撃してしまわないように手綱をしっかりと握り直しましょう。

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