今朝、起きがけに「アダムとイブの物語を取り上げるように」とのメッセージをいただきましたので、ブログではそのさわりを、深堀りは収録して別のところでお届けします。
アダムとイブの物語は、旧約聖書の創世記2.15に書かれています。
神が天と地を創造されたあと、すぐにこの話が始まります。私たち人間にとって一番重要な事だからでしょう。
さて、この物語が現代の私たちに何を訴えかけているのか。
旧約聖書を教典とする宗教では、この物語をもって人間は生まれながらに罪を背負い、苦からは逃れられず、そして女は男に支配される関係だとするところが多いでしょう。
日本人は古来からこれとは真逆の思想をもって生きてきました。数万年もです。
それが「八紘一宇‐はっこういちう‐」です。
人間は神の子であり、それがゆえに神のように振る舞い神のように生きて行かなければならない。
人間はもともと光なのです。神の小さな光なのです。
何が正しく何が間違いかを問う必要がありません。
それぞれに見合う霊格に合わせて解釈は何通りもあっていいのです。真理は一つであっても、その解釈は何通りもあっていいのです。
今現在、魂の3合目を登山している人は4合目を目指し、4合目の人は5合目を目指さなければならないからです。
それぞれの場所で必要なものが変わります。
人は新しい知恵を身に付けては、古い知識の殻を捨て、さなぎから蝶になり大空に羽ばたくように成長していきます。
さなぎの自分に空を飛ぶ知識はまだいりません。蝶の自分にはもうさなぎの殻を破る知識はいらないのです。
人生は魂の実践です。試験です。
光の子である人間が光の子としてその輝きをさらに磨く事が出来るのか。
人生には魂を曇らせる誘惑に満ちています。
その誘惑に落ちる人、耐える人、落ちて這い上がる人、様々です。
誰かの希望になればいいと思うのであえて言いますが、私は落ちて這い上がる人です。
若い時にはたくさん人に迷惑をかけたので、私は決して優等生ではありません。一度は脱落した人間です。脱落しかけた…にしとこうかな。
自分の過去を恥じる事はありません。
今、どう生きているかを誇れば過去も未来も光に変わります。
イブが食べた果実、それは誘惑という名の果実です。
果実を食べたいという誘惑と引き換えにイブは何を捨てたのでしょうか?
正義です。
神の子である人間が守るべき正義とは何か。
ここに私たちが生きるべき「道しるべ」が見えてきます。
これを考える時、心と体は分けて考えて下さい。
私たちは二つの体をもって生きています。幽体と肉体です。それぞれがそれぞれに影響を与え魂を形成していくのでどちらか一方だけでは半分しか魂を磨けないのです。
心の正義を守るとは、肉体の正義を守るとは、それがどういう事なのか。
それを今の自分の生活に当てはめれば具体的にどういう事があるのか。
それぞれが自分なりの答えを出し、それを実践していくのが「あなたの人生」です。
ブログ読者の方は、どうぞご自身の答えを導き出し実践なされて下さい。
さて、ここから具体的な話に入っていく訳ですが、今回のこのブログだけを見た人にとっては意味が分からない部分も出てくる事でしょう。
解釈の違いで誤解をまねくかもしれません。
ここからの話を読んだお一人お一人の解釈に対してフォローの説明が出来ないのでブログではここまでにします。
イブはあなたです。
まさに今、あなたは人生の中でイブを体現しているのです。
果実を食べたイブは神の国(エデンの園)から追放されましたね。
「人生は死後に始まる本当の生活の準備」