今日は、私の会社にとって新たな一年のスタートになる日です。
神様に感謝と誓いを立てる奉納祭は、今年で18回目となります。
私は会社の経営と合わせて、親のいない子供を支えるボランティア団体の運営もしています。
仕事とボランティア、これらの活動を通じて今日改めて考える事は、どちらも需要があって成立するという事です。
私の仕事は病気にならないよう健康に寄与する仕事です。
この需要は人間が生きている以上無くなる事はないと思いますが、ボランティアについては、この需要は一日も早く無くなる事が望ましい。
しかし現実は毎年施設の定員はいっぱいです。
さて一度、需要と供給の定義を人生に置き換えて考えてみます。
霊的真理で説く人生の目的は「魂の修行」です。
魂に喜怒哀楽を与える経験の旅です。
この事を考えると、人生に魂を修行させる為の供給力がなくなれば人生は無意味となります。
喜怒哀楽ですから、人生の醍醐味には喜びと快楽がある一方、哀しみと苦難も無くてはなりません。
哀しみと苦難も「ある」ではなく、無くてはならないのです。
苦難を望む人はさすがにいませんが、それでも苦難がなければ喜びも存在しないのが宇宙の法則です。陰陽の法則です。
今は哀しみと苦難の時代と言えます。
残念ながら現実を直視すれば苦難はまだこれからと言わざるを得ない状況です。
しかし私たちは、このような時代だからこそ霊的視点から見た人生の目的を思い出す必要があります。
喜怒哀楽ですから、哀しみの中にも必ず喜びがあり、苦しみの中にも希望があるのです。
どちらか一方だけで物事が存在する事は出来ません。
たとえ今置かれた状況が絶望に思えても、その中にこそ大きな希望があり未来がある事を信じて欲しいと思います。
大事な事は、闇から光を見い出す力を養う事です。
闇の中にいたとしても自分を光の中に置いておく事が大事です。またはその努力をし続ける事が大事です。
ピンチの時こそ、力をつけるチャンスです。
哀しみや苦しみを抱える人が多い時こそ、人の役に立つチャンスの時であり、慈悲を実践するチャンスの時でもあります。
もちろん心から平和を望んでいますが、平和な世の中においては慈悲心を養う事は難しい事も事実です。
争いのあるところには赦しを
絶望のあるところには希望を
闇の支配するところには光を
悲しみのあるところには喜びを