先日のブログに
ご質問をいただいていました。
「謙虚‐けんきょ‐」って、よく耳にする言葉です。
謙虚に生きる事が大事だって事は誰もが思う事だと思いますが、実際にどういう生き方が謙虚なんだろう?
そんな疑問を持ったのですね。
深く考えるって、とても大事です。
普段、何となく聞き流している事って多いと思いますが、それをいざ詳しく説明して下さいって言われると、アレっ!?ってなる事多いですよね。
さて皆さんに質問です。
世界でもっとも謙虚に生きた人は誰だと思いますか?
私はイエスキリストだと思います。
またいつかイエスさんの生涯について講話会やりたいと思っていますが、聖書(新約聖書)で書かれている事はごく数年間のお話しです。
それもイエス自身の言葉ではなくお弟子さんたちの教えをまとめた「人」の記録、を100年単位の時間をかけながら数回に分けてその時々の聖職者が書き直した記録です。
もちろん、それでも真理はたくさん詰まっていますが、私が大好きなイエスさんは普及活動を始めるまでの苦悩の中に生きたイエスさんです。
これは聖書にはほとんど書かれていませんので、それはまた今度詳しく。
話は戻して、
謙虚に生きる事が人間にとって大事な事だとするならば、もっとも謙虚な人のまねをするのが一番早いと思います。
まねをする、慣れてくる、習慣になる、自然になる、自分のものになる。
その過程が一番の早道です。
そういう意味で私はイエスさんの生き方をまねしたいと思っています。
さて謙虚について最も重要なポイントです。
謙虚とは、何に対して、誰に対しての謙虚なのか?
そこがポイントなのですね。
真理を言えば、大霊、神、指導霊に対して謙虚であるべき。
となります。
人間はすべて大霊の分霊ですから、大元である大霊に謙虚な人間はおのずと人間にも謙虚です。
イエスさんがなぜ自分を殺す人間にまで慈悲の祈りをささげられたのか。
それは大霊に絶対の忠誠を誓っていたからです。
人はみな大霊の分霊・一部だからです。
人間に謙虚、だけでは弱すぎます。
だって、損得勘定が入るから。
好き嫌いで人を判断してしまうからです。
本当に謙虚な人間は、
大霊の生命が宿るすべてのものに謙虚にならざるを得ません。
人間、地球、草木、動物、鳥、小さな昆虫までにも。
質問をもらいこうして回答することで改めてまだまだ謙虚さが足りない私を思い知ります。
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