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宗教と信仰

キリスト霊が人間として生きていた時代、キリストは神様でも教祖でもありませんでした。キリスト教とは後々にキリストの生き方を手本に目指した人たちが作ったものです。

霊的な生き方、スピリチュアリズムの始まりです。

仏教もまた同様、ブッダもキリスト霊と同じく死後に後生の人々が作った宗教です。

これがブッディズムの始まりです。

私の霊的真理の普及活動はこのスピリチュアリズムとブッディズムが基本になっています。それはキリスト教と仏教という事ではなく二人の高級霊が残した霊的真理に深く感銘するからです。

私は教会や神社寺院に行くこともあります。祈りや経、祝詞を挙げる事もありますが、これは自分自身の内観と神仏への感謝が主な目的です。

シンボル的な場所に行く事、宗教儀式を行う事で救われたいという「依存心」から行っているものではなく、日常生活の雑踏から少し自分を切り離し、自分自身を内観する為の行為です。信仰とはそういう事だと考えています。

心豊かに平和に生きる為の先人の教えを学ぶ場所が宗教であっていいと思いますが、それは宗教をやる事が目的ではなく、あくまで自分の人生でその教えを実践して初めて意味を持つものだと思います。

宗教活動に熱心な人の中には、とても意地悪な人、家族を蔑ろにする人、社会に背を向けている人が目に付きます。世界を見ても殺し合いをする背景には必ずと言っていいほど宗教が関係しています。

本来の宗教の意義、信仰とは何か、誰の為のものなのか、そもそも私たち人間は何の為に人生を歩んでいるのか、純粋に霊的価値感を見つめ直す時代に入っています。

世界で起こっている宗教関連の事件は、宗教の意義を見直す機会を与えられていると考えましょう。

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