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ついさっきブログ配信したばかりですが。こんな事も追伸したくなったので。

皆さんは今、一人道に迷ったとします。
水も食料も持たない皆さんに選択肢は一つしかありません。
進むか、その場に座り込むか。

ここで選択の分岐点となるのは、その先に希望があるのか無いのかです。

確信はなくとも、希望があれば進み続けます。たとえ道半ばで息絶えたとしても。
その場に座り込む事は、自力で進む事をあきらめるという事です。誰かが助けに来なければその場で息絶えます。

この違いをお分かりでしょうか?

どちらにしても死が迎えに来るかもしれません。
ですが、この両者の死後に待ち受ける現実がどう変わるのか想像出来ますか?
霊的真理を学ぶ方にはこの違いがお分かりでしょう。

いずれどんな形であろうが必ず人間は死にます。
だから「死」自体が重要なのではありません。「死に方」が重要です。
霊的価値観で生きるとはまさにこの事です。
死後にも生命(生活)が存在するという価値観です。
現に存在します。

「どう生きたか」言い換えれば「どう死んだか」によって、「どう再生するか」が決まります。
この事を知る人生と知らない人生では、生きる意味の根本が変わります。

先ほどの前者の死は「希望」です。
後者の死は「絶望」です。
どちらも道端の「野垂れ死に」です。物質的には何一つの違いもありません。
ただし霊的価値観では「希望」と「絶望」です。
最後にその者を支配した精神構造つまり観念・思想がその後の生活に大きな影響を与えます。

例えばこの話の続きをすれば、

前者は死後目覚めた後も歩み続けます。
死の自覚があるか無いかは人それぞれです。
その先に希望があると信じて歩んでいますので必ずその希望通りの世界に行きつきます。
霊界は思想が現実をつくる世界だからです。

自力で歩む事をあきらめた後者に死後目覚めの後も変化はありません。
大抵のこのような場合、自分の死への自覚は持てないでしょう。という事は永遠にそこに居続けるという事です。

現にこのような事が起こるからこそ、この現世界で幽霊が目撃されるのです。
この世に留まる霊がいるから目撃されるのは物の道理です。

 

今日このブログで伝えたい事は、
良い死に方をする為には、良い生き方をしなければならないという事です。
「良い生き方」の定義がまた問題になりますが、今日はここまでにしときます。

物質的価値観=物理的な幸福感
霊的価値観=死後の生活を見据えた生き方
このように定義出来るでしょう。

 

(※実際の遭難時のマニュアルではないのでご注意下さい)

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