イエスは囚われの身となる直前に、仲間の一人が自分を裏切る事を知っていました。
皆の前で「あなたがたの一人が私を売ろうとしている」と言います。皆が顔を見合わせて誰の事を言っているのか不思議に思っていました。そしてその一人、ユダに向かってこう言います。「しようとしている事を、するがよい」
私も同じ経験があるので、この時のイエスの気持ちがよく分かります。
いずれ自分を裏切ると分かっていても、まだ今は裏切っていないのだから付き合い方を変えるべきではありません。まだ何も起きていないのですから、何も変えようがありません。
まだ良好な関係をしている中で、「あなたはいずれ私を裏切る」とは言えませんね。イエスはそれを言った訳ですから凄い信念だと思います。
わずかな希望を持ちながらも、一方で自分の第六感の正しさを知るがゆえに、切なさは募ります。
やはり第六感は当たるのですが、その瞬間まで相手には敬意を持って接しなければなりません。
今でも「あれ?」と感じた時、私はこのイエスの言葉と行動を思い出し、自分は自分の成すべき事を淡々と行うだけだと思い返します。
人が陰で何をしようと、何を言おうと、それはその人の問題であり、自分は自分の信念のもとに行動するだけ。そのように言い聞かせています。
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