今週のメッセージ

身になる我慢の仕方

今週のメッセージ
『身になる我慢の仕方』

今週のメッセージは、「我慢をただのストレスではなく、自分の身になる我慢にする為の教訓」です。

人生は我慢の連続です。
とくに、年齢が低ければ低いほど我慢を強いられる事は多いかもしれません。
理不尽な大人たちの一方的な言い分に何度も唇を噛む経験をした事があるでしょう。

そして、社会に出て自由な生き方を手にする人もいるでしょう。
人によってはさらに多くの我慢の人生が始まる人もいるでしょう。
未来を予知できない私たちにとって、我慢は一時の試練なのか、永遠の試練なのか分かりません。
永遠に続く試練だと思い込んでしまえば、それこそ人生を続ける意味を見失ってしまう事もあるでしょう。

ここで「我慢」に対する価値観を正しく持つ必要が出て来るわけです。
我慢を霊的視点で見るとどうなるのか。

我慢は、新しい視点を身に付ける為の薬です。

自分が好きな事をしている時、それが疲れる事であっても人は我慢と感じません。
自分が嫌いな事は、誰かにとってそれが嬉しい事でも自分には苦痛と感じます。つまりその時間は我慢を強要されているわけです。

輪廻転生の究極的な目的は、あらゆる人を愛せる魂に成長させる事にあります。
愛する為に不可欠な事は、相手を理解するという事です。
相手を理解せずに愛は生まれません。
相手を理解すればこそ、どんな悪人に対しても慈悲の心が生まれ、その者の成長を心から望む愛が生まれるのです。

相手を一番早く理解する方法は同じ経験をする事です。
しかし、短い人生の中ですべての経験をするわけにはいきません。
そこで、他人を通してその人の頑張りや苦労、悲惨や喜び、価値観などを身近で見せてもらう事が人間関係です。私たちは人間関係を通して疑似体験させてもらえるのです。

その疑似体験が楽しい事ではなく、自分にとって嫌な事、価値観がまったく合わない人との人間関係であれば苦痛になります。
その時間が我慢の時間であり、その我慢は自分が実際にその状況に置かれる事なく、あくまで疑似体験から学ばせてもらっているのだと分かれば、逆に感謝すら出て来るのではないでしょうか。

大切なのは、我慢を苦痛とだけ受け止めるのではなく「我慢=疑似体験=視点を広げるチャンス=自分の魂の成長」という定義を持つ事です。

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