みなさん、おはようございます。
穏やかな週末をお過ごしでしょうか。
今日の私は夜明け前の薄暗い空を眺めながら暖炉に火を灯しもの想いにふけっております。
この時代を選んで生まれた私には、この時代にしか出来ない学びと成長があります。その事について静かに考えております。
明日のメッセージを読まれた後、同じようなことを考える方も多いと思います。
大き目のカップに注いだ紅茶を飲み終えたところで、体も温まってきました。
ブログを更新しようと思います。
お便りをいただいた皆さん、ありがとうございます。
今日はその中からいくつか取り上げます。
十字架が折れたという方がいらっしゃいます。
そういう方、多くいますのでご安心を。
あなたにとってその十字架は、あなたに影響しようとする悪霊にとってとても邪魔な目障りなものだという証です。
という事は、逆に言えばあなたを意識する悪霊がいるという裏返しでもあります。
怖がる事ではなく、敵を意識する事で結界を張る事になっていますので引き続き十字架の力を借りながらご自身の波長を落とさず高い状態で維持する事を心がけて下さい。
私もいろいろな物をしょっちゅう壊されます。
その度に「壊してくれてありがとう!これでまたもっとパワーアップした新しいものと取り換えられるよ。ありがとう。そしてざまあみろ!」
と言っています。
皆さんご存じのように、私はクリスチャンではありません。
仏教徒でもありません。特定の宗教組織には何一つ属しておりません。
その上で言うのですが、十字架は聖なるパワーの象徴です。
キリスト教云々ではなく、イエス霊の善なるパワーに触れられるシンボルです。
すべての人が持つことをお勧めします。
さて次に、
形代の処分についてご質問です。
いつまで続ければいいのか、どの段階で処分すればいいのか、という事です。
それに目安はありません。
個人個人の感覚を目安にするのが一番良いです。
意識が変わったと感じた時、何か状況に変化が生まれた時、もしくは何週間たっても何も感じられない時に一旦仕切り直す為にお焚き上げする事もありです。
一回で済まそうと思わずに、何度でも繰り返すところに効果を発揮します。
やりっ放しは一番良くありません。意識が外れたら効力も落ちます。そういう時はもう一度新たにやるのが良いと思います。
最後に、
利他愛についてお話します。
相手から求められたことにどこまで応えればいいのか、自分の感情やストレスを優先すれば応えられないし、利他愛を優先すれば自分を蔑ろにしてしまうかもしれない。そういう葛藤をお持ちのようです。
まずはこの事を前提に考える必要があります。
例えどんなに良い行為であっても、そこに「想い」が込められていなければ何もしていないのと同じです。
これが霊的真理です。
つまり、自分を犠牲にしようが、しまいが、その行為をした時にあなたの純粋な利他愛の「想い」が込められるのかどうかが一番のカギです。
利他愛をしなければならないという観念が先走り、実際の行為は単なる行為で終わってしまうのであればそれは本当の利他愛の行為とは言えません。
このようは場合、「利他愛をしよう、しなければ、したい」いずれにしてもその感情の奥底には「そのことによって自分も何かを得たい」という見返りの気持ちが入っているからです。
行為の前に気持ちが大事です。
気持ちに焦点をあて考えれば、無理な要求に応えるか、今は応えないか、答えは出るはずです。
でもしかし、このような葛藤をする事が出来るという事自体が素晴らしい悩みです。
引き続き、どんどん悩んで下さい。
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