長野市内の公園廃止決定。荻原健司市長の真意は。

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子供の声がうるさいと公園の廃止を決定した市の対応が問題になっています。
この決定にあたって直接の苦情はわずか1軒だった事も問題になっています。

昔から公園の騒音問題はちょくちょく話題にあがっていますが、この問題の根本が何か少し考えてほしい。

最終的にこの問題の根本は人の上に立つ者の人間力の低下を問題視するべきなのです。

今回の住人のように、自分の事しか考えられない人間はどこにでもいます。
この地球、善霊も悪霊もあらゆる種類の霊界から霊が肉体を使って生まれている事を忘れてはいけません。
だから「自分だけ人間」をとやかく言ったところで問題は解決出来ません。
幼稚園児に社会のモラルを説いても理解出来ないのです。

だから人間の知恵として、いろんな人が一緒に暮らす社会を混乱させない為に、最後にはその地域の采配を任せられる「長」を置くわけです。
問題が起きたら、その長がリーダーシップを発揮しビシッと決断すればいいのですが、その決断の判断基準、価値観が重要です。

そのリーダーは誰を見ているのか?

今回問題になっている長は元スポーツ選手の荻原健司市長です。
彼は、苦情を出した人間を見ています。
大きな声を挙げる人間は目障りでしょう。だからその面倒を回避する為に言いなりになったのでしょう。
苦情はわずか1軒の声ですから、そう思われてもしかたありません。
しかも立地を見れば公園に直接隣接しているのは公共施設のみです。

つまり、この市長は自分(役所)に降りかかってきた問題を見ています。
その問題の「問題」が何かを見ていないのです。
子供が問題ではありませんよ。子供の問題を問題にする住人の問題なのです。
彼は苦情の声だけを聞いて子供を問題にしてしまっているから子供を排除すればいいという決断に至ったのです。臭いものにはふたをしろという発想です。うるさい者は黙らせろって事なのです。

自分に降りかかってきた面倒を早く無くする事しか考えていなかったのでしょう。
もしこの問題がもっと世間に叩かれたら彼はすぐに公園廃止を撤回しますよ。だって信念がないのですから。

真のリーダーたる者は、常にもっとも弱い人間に目を向けていなければなりません。
声の大きい人間の意見よりも、声の小さな人間の意見を守ってあげるのが力あるリーダーの正しい姿です。
この問題では子供の健全な育成を最優先に考えるべき問題です。
そこで育った子供がその地域の未来そのものです。
少子化などと騒ぎ立てているにも関わらず、宝であるはずの子供を排除しようとしているのですから問題の本質を何も分かっていません。
「社会全体で子供を育てる」という大義を持たないリーダーに地域の未来を委ねる事は危険です。
それがどんな社会になっていくのか地域住人は想像しなければなりません。

苦情を出した大人は、いつか言われても文句は言えませんよ。「お前は年を取って役に立たないからどっか行け」と。

子供の笑い声、鳴き声、歌声が騒音としか思えない社会。
嫌な社会です。

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