続き
まず最初にお伝えしておきたい事は、
相談者がご先祖や他者の幸せを願い祈る行為は素晴らしいものです。
祈りとは、本来そうあるべきものです。
他者の幸せを願う事が出来るご自身の心を大切にして下さい。
ただし、注意点があります。
執着を手放せずに成仏出来ない霊は、生前は依存心が強く、他力本願な生き方をしてきた傾向が強い。
(少し話がそれますが、今そういう生き方をしている人は自分の成仏に苦労する可能性があるので注意が必要です。)
そういう人は亡くなった後も何かに依存しなければ心が落ち着きません。
誰でもいいから自分の存在を感じてくれる人にすがりたくなります。
「ご自由にどうぞ」とドアが開いていたら依存したい霊はどんどん入って来て、家の中は霊だらけという事もあり得ます。
見える見えないは別として、そして霊に悪意があるかないかは別にして、人間の生活空間に霊が大勢居たらそれは体調も崩す事でしょう。
ご自身の霊力、霊格の高さに見合った祈りにする必要があります。
つまり、誰かに手を差し伸べる時には自分の許容範囲(受け皿)で受け止められる程度にする必要があります。
これは現世の人生でも同じ事が言えますが。
「世界中の人が幸せになりますように」といった祈りであれば何も問題ありませんが、特定した内容、人物、事柄になってくると、その対象となる霊達が自分の事だと勘違いし無制限に集まってくる可能性があります。
その霊能者がこういう意味で言っているならば間違いではありません。
「私が助けてあげたい」という様な呼び込む様な印象の言葉や気持ちも注意が必要です。
相談者から受ける印象ですが、この事が原因ではないかと感じます。
思念(自分を何か※役立てたいと思う気持ち)がご自身の力、許容範囲を超えているのではないかと思います。
エネルギーの需要と供給のバランスが崩れています。
※この何かが相談者の場合、霊的な世界に近いから注意が必要
今現在、祈る事で支障が出ているというならばその対象を明確に限定する事が必要です。
つまり対象を絞る事がいのではないかと思います。
個人を対象にせずに、そして救済の気持ちではなく、日本の神様に対する「感謝」、そしてご先祖に対しては「さらなる霊格の向上への努力を願う」くらいに限定した祈りにした方が宜しいかと思います。
最後に、
相談者の献身的な心はとても素晴らしいものです。
神仏を敬う気持ち、他者の幸せを祈る気持ち、それは最も尊いエネルギーです。
個人的な意図がなく、純粋にそれだけを祈る行為には大いなる霊力が生まれます。
その霊力の前には悪霊や低級霊など近づけるものではありません。
祈るという尊い行為を止める必要などあるはずもありません。バランスをご自身で取れるようにしてみて下さい。
※回答内容は私の霊的視点から読み解いた見解です。
ご自身が信じるものがあるならばそれを行えば宜しいと思います。
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